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映画『葛城事件』を見て

 

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段々と濃くなる人間臭さにむせかえるような映画であった。人間臭いというと、汗の臭いを思い浮かべるが、現代における人間の臭いは違う。入院が長い人たち向けの病棟に行ったときの臭いが正しく現代の人間臭さである。運動や暑さによるものではない人間の臭いとそれを隠す臭いが混ざった甘ったるい臭いである。

 

主人公は無差別通り魔事件を起こした犯人の父である。自分の信じたやり方で家族を幸せにするために1人奮闘した父は、やがて家族を抑圧し、長男の自殺、次男の通り魔殺人、妻の精神的な崩壊を招いていく。

特に、次男の通り魔殺人は誰もが知っている事件を題材にしているだけに、そこに至るまでの父の振る舞いはスリリングだ。

しかし、この映画の主眼は、その後も変わらない父である。理想の家庭を築くことに全身全霊をかけ、それが失敗したにも関わらず、なぜこの父は変わらないのか。

 

理想を叶えられなかったという意味では葛城家の人々は全て同じである。長男は仕事が上手くいかず、次男は父親の期待に応えられず、母もまた子供達を失った。長男の妻は夫を失い、次男の妻も死刑に向かう夫の心を開かせることができない。

その結果、彼らは行動を起こしたり、変わってしまう。葛城家の息子達は自殺や事件に向かい、妻も感情を失ってしまう。逆に、次男の妻は心を開かない夫との交流への葛藤から、どんどんと感情を露わにするようになる。

面白いのは長男の妻である。長男の妻は夫の自殺の後、葛城家との関わりは薄くなったようで、実家のサポートを得ながら活き活きと働く様子がエンドシーン間近で挿入される。

 

理想を叶えられないというのはあらゆる人にとって大きなインパクトを持つ。その現実を受け止めた時、行動を起こしたり、受け止めきれない場合にもそのショックで大きな変化が起きる。

 

その中で唯一、主人公は事件後に誹謗中傷の止まない自宅に住み続け、言動も驚くほど変わらない。この行動は、強く意志を持って行っているわけではなく、自分の考えに盲信することで現実から目を背ける弱さに基づいている。最後のシーンで主人公は初めて、理想の家庭とは異なる孤独な境遇に嫌気がさし、行動を起こそうとする。しかし、それは失敗し、主人公は普段の生活を生き続けることになる。

 

この粗筋だけを読むと、1つの家庭にここまでのことが起こるのは劇的すぎるように感じるかもしれない。しかし、葛城家の生活を映し出す視線は淡々としており、1つ1つのシーンは私達の生活と地続きに感じられる。主人公もエキセントリックな言動を繰り返すが、彼と同世代の男性に同じ横柄さや弱さを感じたことがある人は多いはずだ。

 

今もこれからも、日本は格差の進展とと高齢化がハイペースで進んでいく。それはつまり、理想を叶えられず、それでも生きながらえていく人が増えていくということだ。そのような時代を生きていく私達の果して全員が現実を受け止め、勇気ある行動を起こすことができるだらうか。そんなことを突き付けられる映画であった。