My blog

How to connect the world? How to express myself?

読書:自己流園芸ベランダ派

 

 

 秘密の花園に憧れすぎたせいか、せまいベランダに植物をいくつも置いてしまう。楽しいのだが、特に具体的なメリットはない。楽しいだけである。

 

 かつて、お金がなくて困っていたとき、食費を浮かせられるのではないかと思って、トマトや薬味をベランダで育てていた。2ヶ月ほどは収穫もないままに毎日水撒きをして、1週間ほどのうちに20個ほどのトマトが一気にできた。食卓は大量のトマト消費に追われ、その間買いためてあった別の野菜が傷んでしまった。しかも、トマトができたのは、まさしくトマト最盛期で最安値の時期である。あまり、お得ではなかった。

 薬味の方はまだよかった。シソも万能ネギもパクチーも何度も楽しめた。しかし、ミョウガは日当たりの良いベランダでは一向にならず、見たこともない大きな葉を茂らせる観葉植物のようになった。また、ローズマリーは買って3日目に立ち枯れた。

 

 少しお金が増えたとき、節約目的ではない花を導入できた。アラビアンジャスミンという、ジャスミン茶の香りづけに使われる花である。見るたびに幸せだなと思う。あー私は、お金目的でなく、花を愛でていると感じる。とは言っても、周りの鉢は全て食べられる植物である。経験上、うまくいったことのある薬味たちと、あとはクレソンである。クレソンは丈夫で育てやすいとネットに書かれていたが、青虫にも非常に人気が高い。毎日、葉水をやっても週末は青虫退治に追われる。

 

 秘密の花園は児童向けの小説であるが、今も枕元に文庫版を置いて繰り返し読んでいる。主人公のメアリーが顔色が悪く痩せこけて性格も悪いというのが私にぴったりである。最終的にメアリーは心身ともに健康的になるのであるが、そこに最も大きく関係したのが、その土地の自然であり、植物であった。メアリーは殆どの時間を1人で過ごす。そして、その間、たくさんの自然を観察している。季節が変わって何もない大地にも実は球根が埋まっており、芽が吹き出す。メアリーも内から湧いてくる変化を受け入れ、変化をしていく。見えてなくても、人間はいつまでもメソメソと不健康ではいられないようにできている、そう思わせられるから、私はこの小説を手放すことができない。

 

 知り合いで、植物をすぐ枯らしてしまった経験から、植物を育てないひとがいる。逆に、むしってもむしっても湧いてくる雑草に辟易している人もいる。私は植物を常に置いてるが、実態は同じである。色々枯らし、思いもかけない植物の成長に困っている。また、余計な虫にも大変困っている。猫の額ほどのベランダなのだが、全く、植物およびそこにまつわる天然自然を手なづけられている訳ではないのだ。

 

 植物はその内に組み込まれたリズムに沿って育ち、枯れる。元々弱いものは何をしても枯れるし、強いものはどういう状態でも生い茂る。肥料や土の説明を見ていると、まるで理科の実験のようにそれらをコントロールできると思わされる。しかし、それは錯覚である。植物は植物の都合でだけ伸びるのだ。そして、コントロールすることが植物の楽しみではない。こちらの思惑によっては何も変わらない様子そのものが私を慰めるのだ。

 

 ところで、最近またお金が余りない。しかし、そういうときに食べたいクレソンが青虫にやられてしまっているのを発見した。思いもかけずイライラしてしまい、良い対策はないかと思って、本屋にでかけたのである。昔、朝日新聞いとうせいこうさんがベランダ園芸を続けているエッセーがあったのを思い出したのだ。しかし、数々の鉢に対する悪戦苦闘を拝見し、私も植物に対する初心を思い出した。植物の内からの力を尊敬し、感謝する心である。青虫対策はいまいちわからなかったが、また植物を大事にしようと思った本との出会いであった。

 

我が家のベッドはベランダのすぐ脇にあり、植物はそのベランダで眠っている。枕元には秘密の花園と一緒にこの本も置かれることとなった。