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読書:大人になるっておもしろい?(清水真砂子)

大人になるっておもしろい? (岩波ジュニア新書)

大人になるっておもしろい? (岩波ジュニア新書)


 社会に出て何年にもなるが、最近自分がどこを歩いているのかわからなくなった。◯年目という指標もよくわからなくなり、前を進んでいるのか後ろに向かっているのかすら不明だ。頭ではわかっている。おそらく、与えられた1つのレールに皆が乗っていて誰が早く遠くにいけるかというレースは終わってしまっているのだ。自分で自分の道を見つけなければならない。

 でも、新しい仕組みに気づいただけで満足しても体はそれに向けて動かなかった。頭ではわかってるから、口では頑張るという。でも、やってることはバラバラだ。大見得を切ってなんとか繋いでいた人たちから、怒られて、いよいよ公私ともどもうまくいかなくなった。

 そんな中で、吐き出さなくてはならないほどにもやもやが溜まってしまい、短歌を作り始めた。また、ブログも書いてみた。内容はてんで人に伝わるものではない。それでも、私は気持ちを吐き出し続け、なんだか不思議とすっきりしてきた。そして、また、自分の道を探そうとしている。どうしてか、前よりも具体的に何をすればいいかがわかってスムーズだ。

 いったいこれはどういうことなのだろうか。思うと、私は周囲の変化に合わせて、自分の道を探さなければと思っていた。しかし、それは内発的な発見ではなかったのだ。スムーズに変化に合わせることに気を取られ、声高に変化を口にしてばかりだった私はなんて痛い奴だったのだろう。
 そして、上手くいかなくなってようやく初めて自分の不器用さを知った。正確に言うと、短歌を作ることで初めて自分のことを自分の言葉で語ることを試みて、それで少しずつ背伸びをしない自分に出会えてきているのである。

 たまたま書店で、大好きなゲド戦記の翻訳者の清水さんが書かれた本を手に取り読んでみた。13章のなかのまだ5章だ。でも、私にとって大事な発見があったので、このブログを書いている。大事なこととは、感情の発露こそが自分で考えるきっかけであるという発見だ。

 清水さんは、ある日目にした近隣の学生の姿に強い共感を抱く。それは先日までは、明るく優しかった少女が、親にバカと怒鳴りつけ家を出て行く反抗期の風景だ。そして、それに「怒れ!怒れ!怒れ!」とエールを送る。他にも、1人でいる学生、悲しむ学生、かわいいと言わないことなど社会的に推奨されない、負の感情を積極的に肯定していく。なぜならば、「悩むことはものを考える第一歩」であると筆者は知っているからだ。そして、悩めない学生を見ているうちに負の感情を自然とやり過ごすことをスマートなこととして推奨されることに強い危惧を抱く。

 これは最近の私の実体験を以ってしても同じだ。しかも恐ろしいのは、特にきっかけがあって感情を殺していたわけでもないのだ。私たちは自然と感情を隠すのに余りにも慣れすぎてしまっている。自分の感情を大事にしていきたいなと思い、このように改めて文章にしてみた。

 そして、下手なりに短歌を続けようと思う。文学も詩も読むのは大好きであったが、なぜ私たちはフィクションを必要とするのか不思議に思っていた。いま、読むだけでは飽き足らず、表現をしようとしていて思う。これは理性では捉えきれないまたは表に出すべきでない、感情の発露として先人が編み出してきた方法なのだ。そして、気づけば読む側も一緒に感情を発露できるのだ。

 残りの章もきちんと読んでいきたい。