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読書:キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜(田房永子)

 

キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~ (BAMBOO ESSAY SELECTION)

キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~ (BAMBOO ESSAY SELECTION)

 

 

最近読んだ漫画に筆者の田房さんが紹介されていたので、読んでみた。身近にそういう人がいるので共感しつつ、問題の身近さに気づかされた。


筆者が身近な人に対してキレることに気づき、苦しみ、それを変え、周囲も変わっていくまでのストーリーである。キレるとは暴力だけでなく、暴言、ヒステリーなど様々な形を取るが、それは夫という身近な存在にしか発動しない。筆者曰く、普段は人に気を使いすぎて、当たり前のことでも怒れない性格とのことである。
しかし、子供に思わずキレそうになったことなどを通じて、それを改善しようとする。セラピーを通し、自己評価が低いところで他者からの些細な指摘が、それ以上下がれない自己評価を下げるように勘違いしてしまっていたことに気づく。
これは言葉にすれば数行であるが、具体的エピソードがかなり赤裸々なので、その苦しみの深さも、そこから這い上がる力強さも説得力を持った物語として伝わる。

いくつか感じたことをまとめた。

◼︎暴力がいけない理由
暴力は何も生まない…と言われる一方で、良い暴力と悪い暴力があるという見解もある。実際、社会で行使されている暴力が多数ある以上、前者に立つとするとどのような根拠があるのかはとても難しい。
筆者はある経験を通し、暴力がなにも問題解決にならないと気づき、暴力はいけないと気づく。
私は暴力を自分で用いたことはないので、実はそれでも完全にはわからなかった。実際、多くの暴力を受けとる側は「相手には自分がまだ理解できない暴力を振るう理由がある=高度な問題解決のために振るってる」と思ってるのではないだろうか。
しかし、筆者が暴力を振り返って、それが、「問題に対してテンパってる状態」であると解説して、私も初めて暴力はいけないなと納得できた。
作者のtwitterに、暴力を起こす人とそうでない人の境目は、セルフコントロールの程度ではなく、持っている怒りの質そのものが違うというような内容が書いてあった。確かに、私も全く暴力を振るう人の気持ちがわかっていなかった。
暴力問題は、振るう人も冷静に振り返るのが難しく、振るったことがない人は振るう人の気持ちがわからない…だから問題解決が難しいのであろう。だからこそ、暴力を振るう人がきちんと内面とそれを乗り越えたプロセスが書かれている本著に救われる人は多いであろう。


◼︎暴力のとらえなおし
暴力とは殴る蹴るといったことを思い浮かべやすいが、相手の意に沿わないことを無理やり強制すると広く暴力を捉えてもいいかもしれない…と思った。束縛し合う恋愛関係などももはや暴力で繋がりあってるともいえるであろう。暴力は身近な問題であると考えるためにも、このようなとらえなおしが必要かもしれない。

…とここまで書いて、私も安易に暴力を振るったことはないとは言えないなと反省💦

 

◼︎筆者の田房さん
読み始めてしばらくしてから、絵柄で思い出されたことがある。そして、それは実家の家族関係で傷ついた心が暴力の遠因となっている…というエピソードを読んでいよいよ明らかになった。
それは家族関係の悩みを綴った別な本を立ち読みして、その場で号泣してしまったことである…。びっくりしたのは、思い出すまでは、泣いたことはもちろん家族関係に悩んでいたことすら忘れていたのだ。
 もちろん、それは私の悩みがその程度であったからだと思う。でも、立ち読みした本や他の物語もきっと、私の色んな思いに寄り添ってくれ、だから私はいま幸せなのだ。

 最近ようやく気付いたが、問題解決にはその問題の言語化がファーストステップなのだ。しかし、私は自分が悩んでいた問題を話す友人も表現する才能もなかった。だからこそ、物語で悩みに道筋をつけてもらえてとても感謝している。
 私はこの本に書かれるほどの苦しみは今ないが、それは本当に幸いなことなのだ。筆者を含め、感謝しなくてはならない。