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読書:堕落論(坂口安吾)

堕落論

堕落論

 「100分で名著」というNHKのテレビ版が大好きで、紹介された本はついつい読んでしまう。堕落論Kindleで無料であったこと、文庫版で14ページ程度とのことで、すぐに手に入れ読んだ。

 

  力強い演説を聞いているような文章で、使われている比喩表現も生々しい。人間とあるべき姿をねじ曲げようとする「世間の上皮」の葛藤がまるで、動物同士の争いのように迫ってくる。その後の、ハイライト「生きよ、堕ちよ」で心が震えない読者はいないであろう。

 

 評論の論旨は、人間の本質は戦争時に賞賛された美徳に反して堕落的なものであり、それを追求すべきということである。美徳はあくまでも管理を行いやすくするための政治的、歴史的に生み出された道具であり、道具であるがゆえ、「世間の上皮」が次第で変わるものに過ぎない。歴史的に生み出された美徳と、人間の本質的な堕落の対立は以下のように示されている。

 

歴史という生き物の巨大さと同様に、人間もまた巨大だ

 

  しかし、著者がこの対立を乗り越え、「生きよ、堕ちよ」と叫んだ後で、もう一点堕落を妨げるものを挙げる。それは、堕落を直視できず、美徳という既成の価値観に頼らずに生きていく怖さである。美徳による思考停止を行わず生きていく道を著者は「暗黒の曠野(こうや)をさまよう」と表現している。つまり、美徳は民衆に支持されてきたからこそ、歴史的産物として堕落をおびやかしてきたのだ。

 

 最後に著者はこれを救う道を、「堕ち切ること」そしてその先に、堕落した自分の「発見」および「救い」をすべきと述べている。

 

 本著を読んで真っ先に思い出したのは著者と同じく無頼派と呼ばれた太宰治であった。彼の作品は「人間失格」のような人間に対する悲観的な作品から、「走れメロス」のような素直な人間賛歌まで様々である。そして、前者の作品は戦後、後者は戦時中に生まれたことを知った。また、太宰治の生活自体も戦時中は戦争協力的で家族と暮らしていた一方で、戦後は様々な中毒やスキャンダルを起こしたとのことである。私は、人間賛歌的な著作に引かれつつ、太宰治の自由の責任に耐え切れなかった境遇に思いをはせ、複雑に感じた。

 

 「堕落論」は人間に「生きよ、堕ちよ」と叫ぶ。それは、美徳に寄りかかっていた当時の人々には衝撃であったであろう。また、既成の価値観を頼り思考停止に陥ることは現代の私たちにも身がつまされる。だからこそ、本著のメッセージは私たちに語りかけてくるのであろう。

 

 しかし、太宰治のように「暗黒の曠野をすすむ」のは大変に辛いことだ。どのようにこの、孤独感を越えればいいのか、死などの不条理を受け止めたらいいのかは本著には書かれていない。これは、破壊と創造の「破壊」だけで終わってしまった評論なのであろうか。(日本の評論には特にそのようなものが多いと感じるが…)それとも、ここから先は「暗黒の曠野」として著者の考えにも頼らずに読者自身が考えていけというメッセージなのだろうか。著者の他の著作も読みつつ、考えてみたい。