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読書: 「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」(永田カビ)

普段は世の中舐めてるくらいにある心の余裕がちょっとなかった。忙しいことはありがたいことで、それ自体は辛くはなかった。それでも、昨日ふと心の余裕ができて、まっさきに本屋に行った。

どうやら、忙しいときは頭に沢山の情報を入れていふせいか、心に物語を入れられなくなってしまう…ようだ。忙しいときに本屋に行っても本を選べなかった。でも、昨日は自分が読むべき本がすぐにわかった。表紙が光っていたし、立ち読み小冊子を読んですぐに決断した。あと、帯もよかった。「心を開くって、どうするんだっけ」…最近、色々な方にお会いして、ちょうど難しいと思っていたところであったのだ。

家に帰って寝るまでに2回。3回目の途中で寝てしまい、朝起きて2回また読んだ。たまにウルっと来る。ここまで来てようやく本の中身について書くが、エロというただの体験レポではない。もっと作者の精神的な物語なのだ。テーマは風俗であるが、それは自分を諦めていた人にとっての自分を取り戻そうとする旅の一歩なのである。

作者は精神的な不安定さを抱え家で暮らしているが、閉塞的な家族関係に苦しんでもいる。生活も家族関係も、高校を卒業して9年間悪戦苦闘していた様子で、いよいよ精神的な不調が酷くなり病院に行く。そこをきっかけに自分のことを見つめ直す。親の評価を気にするばかりの自分の認知に閉塞感の原因を見つけたとき、作者は「自分で自分を大切にしたい。自分の気持ちをわかるようになりたい…!!」という。そして、親の要求より自分の欲求を優先させる第一歩として、性的な体験を試みるのだ。

この、「自分で自分の気持ちをわかるようになりたい」という言葉を見て、私は帯を信じたことが正解であったことを確信した。昔は年相応とか女らしく男らしくといった生き方の「べき論」があった。どんどんどんどんそれは薄まって行って、親世代という1番近い世代とすらその「べき論」のギャップを感じてしまう。かといって、「べき論」に勝てるだけの「私はこうしたいのである」なんて、そんな簡単に表せないのだ。

作者は風俗を第一歩として、自分の意志を発見し始める。目指す場所もわからないままもがいて、「べき論」を超える自分の「である論」を見つけ、「甘い蜜」と名付ける。

世間で暮らしていて完全に人からの意見を無視するわけにはいかないが、自分のやりたいことだけやるほどの自分にやりたいことも無い人が多い。場面場面で世間と自分の優先順位を決めないと、世間の中で自分という存在の輪郭を保てない。その優先順位を決める軸は自分にとっての甘い蜜だ。私たちは果たして甘い蜜を持っているだろうか?そして、甘い蜜を持ち続ける戦いをできているだろうか?風俗レポートではなく、これは本当に普遍的な戦いの旅である。

そして、個人的に心に残ったのが、自傷のメカニズムである。摂食障害の経験を振り返った作者は、「でもボロボロになっていく事はうれしかった」なぜなら「傷つく事で何かが免除され、人が私を承認するハードルが下がり 居場所がもらえると思っていた」ためである。これは思わず共感をしてしまった。自傷とか摂食障害に至らなくても、集団の中でダメな自分を演じる…演じるうちに周りの反応も変わり、本当にダメになっていく…というのは経験したことがあるのだ。体を傷つけてはいないが、役割を敢えて傷つけている。これは謙虚さとは何だか違うものだ。気をつけようと思った。

また、このような描写が今まで読んだ精神医学や心理学の本のどれよりもわかりやすいと感じた。外部から見てるそれらの本はメカニズムではなく、それがどう現れるかに力点が置かれているのだろう。特に当事者の人にとっては、この差は大きいであろう。
そのような意味で、マイノリティである上にあまり表に出されない精神障害などのジャンルにおいては、当事者の発信によって当事者が救われる場面は多いのかもしれない…と思った。