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sundy1987’s blog

1987年生まれ。コミュニケーションの幅を広げたくって自己表現を探り中。

読書:すべてはモテるためである(二村ヒトシ)

まとめ

 気分転換のつもりが、とっても感動・・・・!私を認め、でも他の人を認めることは可能という希望を伝えてくれた。でも、そのためには現実を直視して、自分の考えをもたないとね、ということでした。

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

 

感想

本著を読んだきっかけ

 ずっと読みたかったこの本を買うのは少しためらわれた。本屋でいっつも平積みされていたので気になっていたけれど、男の目を気にしていたのである。うっかり、一人身に戻ってしまい、そうだそうだと手に取った。もう一つ、この本を読んだ理由がある。それは、最近ずっと考えていることと異なる話題を読むことで、気分転換になるのではないかと思ったことである。最近考えていたこととは、「なぜ、多様性が広がると逆に極端に単純な考えを採る人が出てくるのであろう」ということである。

 

幼稚になっていく女子たち

 ちょうどアラサーと呼ばれる年代になってくると、周りを見渡すと「人それぞれ」な状況になってきている。仕事でいえば、総合職、地域総合職、一般職から、フリーター、無職。プライベートでも、結婚(子あり)、結婚(子なし)、彼氏あり(結婚前提)、彼氏あり(結婚したいけど結婚してくれない)・・・、彼氏なし(欲しい)、彼氏なし(いらない)まで色々である。趣味嗜好まで広げると、本当に人それぞれとしか言いようがない。学生時代の、大学名、彼氏のステータス、モテ度くらいしか自分を語る属性が無かった頃からすると、はるかに多様性に富んでいる。

 

 背景には、校則などのルールがどんどん減ってきていることや、時代が進んで既成概念に基づく「○○歳くらいで○○すべき」という刷り込みが減ってきていることが挙げられる。このような、「他人に迷惑をかけなければ、何をしてもいい」という現状はマイペースな私にとってはとても暮らしやすい状況なのである。しかし、どうしてかこれと逆行して「べき論」に固執する人が増えてきた・・・ような気もしている。おそらく、声のボリュームが大きくなっているのに対して、「べき論」の守備範囲が減っているから、なんだか違和感を感じてしまうのであろう。

 

 その「べき論」は人によって異なる。子供を持っている人は、「子どもは持った方がいいよ~」と言う。働く人はまたべき論が異なる。中でも私が最もびっくりしたのは、この年齢になって敢えて美とかセクシーを追求しだした友達である。ある友達は整形してフェイスブックからの「いいね!」が飛躍的に増やしている。直接の知り合いでない、かなり年上の異性(おじさん)から絵文字付きのコメントを貰って、律儀に全部に絵文字付きの返信をしているようだ。すっぴん写真を挙げる友達もいる。芸能人などのすっぴんを見た時には気づかなかったが、すっぴん写真は外出着では撮らない。髪もしどけない感じだ。その友人はキャミソール姿で写真を挙げていた。私が鈍感だったから意図が読めなかった。そう、あれはセクシーを売り出しているのである・・・。いわゆる女子力は高いのに、なんだか幼稚に見えるのはどうしてなのであろうか?

 

 私の感覚では、恋愛においては年齢を重ねるほどに美やセクシー以上に、人柄も含めた「人それぞれ」が(男女ともに)求められているような気がしていた。どうして、彼女たちは美やセクシーを今まで以上にアピールしだしたのであろうか。美もセクシーも相対的な価値しかもたないし、評価者は他人である。それを追求することは、果てが無い。しかし、このような行動を採るのはどちらかというと、美人な人たちであることに気づいたとき、おぼろげながら理由がわかってきた。おそらくこの人たちは自分たちがいるだけでチヤホヤされた時代が忘れられないのだ。しかし、このように自分が優位に立てた時代の価値観をどんどん追求しだすのを幼稚と感じるのは、私が元々ブスでモテない奴だからなのであろうか?

 

本著のメッセージ

前半:「キモチワルイという人の目×モテたいという自分視点」から考えろ

 本著は男性向けに書かれた「モテ本」である。しかし、女性にモテることを「数」で評価し、そのためのテクニックを書いた他の本とは異なる。この本は「君がモテないのは女性から見てキモチワルイからである」と一文を突きつけたのち、「君はなんのためにモテたいのか」を最初に問う。目標は自分で設定しなくてはならないし、とにかく自分で考えなくてはならない。本の前半全てのページを使って、徹底的にこの2つのメッセージを詳細に分析し、そして読者に考えさせる。モテたいと思って読み始めたわけではない私も、思わず、「あ、だから私はモテないんだな」と気づかされた。

 

 これが、ターゲットにされていなかった私にもぐっと来てしまったのは、この本が非常にロジカルに問題解決を図っているからであろう。本である限り、ある程度の論理性があるはずであるというのは間違いである。多くのモテ本(その他雑な議論全て)は結論ありきで、根拠を後だしで述べているだけなのである。あるべき論理的思考のひな形に、「空⇒雨⇒傘」というものがあり、「現実⇒思考⇒行動」というメッセージを伝えてくる。それに対すると、多くの雑な議論は「行動(○○すればうまく行く)⇒思考⇒現実」なのだ。その結論に共感したい人には有効であるが、そうでない人には「そうとばかりは言えないのでは?」となってしまう。

  

 この本は、徹底的に「現実⇒思考⇒行動」を採っている。しかし、なぜこのひな形が適切な論理的思考プロセスとして推奨されているにも関わらず、避けられるかというと、現実を受け止めることが難しいからだ。思考や結論を出すプロセスはもちろん難しい作業である一方で、現実は目の前にあって誰しもが認識できるように感じる。しかし、それは違うのだ。不都合な現実を適切に認識することは非常に難しい。例えばモテ論で言えば、「元カノにに自己中と言われたからモテないに決まっている」と他人からの視点だけでそれを語ったり、「自分は顔が悪いからモテない」と自分が傷つきづらい理由を持ち出して現実認識としてしまうことがある。それを、問題は「人が考えていることと自分が考えていることのギャップ」であると徹底的に現実を突きつけるのが本著なのである。

 

sundy1987.hatenadiary.jp

 

後半:真のコミュニケーション

 では、人が考えていることと自分が考えていることが異なるという身もふたもない状況で、自分の「モテたい」という考えを他人に受け入れてもらうにはどうすればいいのであろう。そのために、筆者が伝えるのはコミュニケーションである。ここからは、具体的なやり方を教えてもらえる。しかし、それでもすごく頭を使って考えていくであろう。なぜならば、これは、他人を説得する技術でも、自分の本心を隠して相手に受け入れてもらうようなテクニックではないからだ。自分と他人をなるべく同時に肯定するためのコミュニケーションとして、筆者は「自分の心のふるさ」を持つことを応援しつつ、幻想を押し付けてはならないという。

 男性向けの方法論であるので、全てを実践に移せるわけではない。しかし、コミュニケーションをうまく行えれば、自分と他人同時に肯定することが可能なのだというメッセージはとても心強い。

 

 

考えたこと①どうして「正しく」論理的に考えることは難しいのか?

 本著を考えて思ったのは、どうしてロジカルシンキングはできないのかということである。みな、それぞれに「よく考えて行動をしている」という自負を持っている人は多いであろう。しかし、他人の「よく考えて」と「行動」にかい離を感じることは多いであろう。逆に、自分が人に「どう行動したいか」と「どうしてそう考えたか」を伝えた時に、それが全く伝わらないという経験をしたことは多いのではないか。おそらく、誰しもにとって「正しく」論理的に考えることは難しいのだ。

 

 先日、女友達がまさしく「モテない」という話をしていた。恋愛関係で最近失敗をしたという友人は最終的に「だって男って○○じゃない」という結論付けをしていた。(どうして、たった一人の経験から男全員の総括ができるのであろうか!?)(そして、そうだとすると恋愛も結婚も諦めるべきでは!?)雑な論理展開だなと思いつつも、雑な理論と正しい理論の違いがはっきりとわからず、私も雑な反論をしてしまった気がする。いま、きちんとロジカルにモテを追求した本著を通じて、ロジカルシンキングの落とし穴に気づいた。

 

①問題設定を間違えている

 一点目の落とし穴は、ある問題を解決するために論理的に考えるとしたとき、その問題設定そのものが誤っているという可能性である。上記の友人の例であれば、「モテたいがモテない」というのが問題設定としてあるべきであり、本人もそのように言っていた。しかし、論理的に考える段階になってた「モテたいのにモテなくて不安」という問題設定にすり替わっていのである。不安を解消したいからこそ、手近な見聞きした結論を借りてきて納得させていたのだ。

 不安を解消することが間違っているとは私は考えない。しかし、本人が「モテたいがモテたい」ので「男が悪い」という結論になったと認識しているのはどうであろうか。まず、それは全く人に伝わらない。また、本人もその結論に対して試行錯誤ができないであろう。今は「モテたいがモテなくて不安」なので「女友達に愚痴る」ことをきちんと認識している方が、不安が落ち着いた頃に、それなら「モテたいがモテない」ことにじっくり取り組めそうである。

 

②現実を直視できていない

 二点目の落とし穴は現実の直視が難しいということである。これは「現実⇒思考⇒行動」で現実を捉え間違えるということではない。もし、捉え間違いであるならば、もう一度このプロセスに沿って試行錯誤を行えばよい。

 現実を捉えていないことの本当の問題は、「他人の推奨する行動⇒後付の思考」という問題解決プロセスである。もちろん、これでうまく行くケースもあるであろう。しかし、既成の価値観が存在しない現代は「他人の推奨」は無数に存在する。そのときに、多くの人が選択するのは、「自分に都合のいい理論」なのである。自分の考えでうまく行っていないのに、他人の理論で自分の価値観を補強するのは無意味である。

 そして、その背景には現実を捉えるむずかしさが存在する。あらゆる問題は「理想と現実にギャップがある」ことなのである。もし、仕事であれば営業目標は自動的に与えられる。また、現状も定量化できる。しかし、共通の既成概念が無い現代においては、「自分のやりたいことと人のやりたいことにギャップがある」ことがかなり多く、これらも問題解決を図らなくてはならない。以前であれば問題にならなかったような、モテ論や結婚論がはやるのもこのような事情があるのであろう。

 「自分の本心」も「他人の本心」も探るのはとても難しい。しかし、実は今時の私たちにとってどちらかというと、「自分の本心」が分からないこともかなり多いのだ。なぜならば、感情をかなり抑えていることに慣れてしまっているからである。ここについては、私も最近気づいたことなので、まだ上手く整理はできない。ただ、言語化してきちんと自分の語ることも大事であるし、また、自分の負の感情をきちんと認識することがその前段階で必要なようだ。

 

sundy1987.hatenadiary.jp

 

 

考えたこと②言語化の意味

 また長いブログを書いてしまった。しかし、これは私の私に対する反省文なのである。著者はモテないときに自戒を込めて本著を執筆し、モテるようになったらしい。私も、①自分のことをきちんと認識し、②正しく考え、③自分と人の気持ちを同時に満足させていきたいと考えたので、これを文字に残しておく。